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地下通信 [chika-tsûshin]

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2005年 04月 24日

愚劣な心性

 小泉純一郎首相がインドネシア・ジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)50周年記念式典の演説で「過去に対する痛切な反省とおわび」を表明したのだという。
 中国は、かの国らしく様々な計算と戦略の下に一定の評価を下したようだ。しぶしぶながらも日中首脳会談に応じたことからもそれは伺えよう。一方の韓国は特に反応を示していないようだ。というよりも、意図的な無反応とさえいえる対応を見る限りは国内世論の動向を見極める姿勢なのかもしれない。いずれにせよ「言葉より行動を」ということで両国の立場が一致しているのは報道されている通りだ。
 だがここで、両国で燃え広がった一連の反日ムードによって日本が問われているのは一体何なのか、ということをもう一度考えてみる必要があるようだ。

 本ブログで既に触れた話題なので繰り返すのも野暮なのだが、敢えて繰り返せば韓国にせよ中国にせよ、その国内における過剰な「民族主義」や「ナショナリズム」には正直辟易する部分もある。それが一定期、被害者のそれとして絶対の価値を持ち得た感情だったとしても、現代の両国において反日を契機に湧き上がった「民族主義」や「ナショナリズム」の過ぎたる発露の部分に関しては何とも言えぬ違和感を拭えないことを前提にしておいた上で以下の文を続ける。

 それにしても、だ。戦後60年も経たのに、ここまで激烈な反日の源泉が隣国になぜ今も残されたままなのか。つらつら眺めれば、両国の怒りと不満を呼び起こす引き金となった日本の「ナショナリズム」にも、弁解の余地がない腐臭が漂っているのではないか。いや少なくとも、それを「ナショナリズム」などという単語を被せることすら赤面したくなるほど稚拙な言質がそこかしこに飛び回っているのではないか。
 憲法改正?、自衛隊の活動範囲拡大?、集団的自衛権の容認?ー。よろしい。一億歩くらい譲ってそれらを是認しよう。しかし、「創氏改名は朝鮮人の要望で始まった」、「(日韓併合は)彼ら(朝鮮人)の総意で選んだ」、、こんな愚劣な発言がなぜ平然と発せられる必要があるのか。ちなみに前者は麻生太郎・総務相の、後者は石原慎太郎・東京都知事の発言だ。下品というよりも、思考のあまりに表層的な浮遊感に唖然とさせられる。不快な愚劣を引き起こす愚劣の源は、まさに我々の足下にあるのだ。
 にもかかわらず、こうした発言が嘗てのように駆逐されることすらなく、むしろ堂々と跋扈し、蔓延している。恥じ入ることすらなく、である。

 「武士道」という言葉がある。好きな言葉でも全くないし、その単語の真の定義、あるいはその意味の真の有り様は寡聞にして知らぬが、どうやら「日本の伝統」に縋り付こうとする自慰史観主義者(笑)どもが大好きで仕方ないワードの一つであるらしい。潔しをもって尊しとなす。下らぬ言い訳はしない。しかし、だとすれば先に挙げた愚劣な発言など最も「武士道」から遠く離れたものではないのか。過去の過ちを率直に受容し、詫びるべきは詫びる。過ちを徒に正当化しない。潔いことを美とする。それこそが「武士道」なるものだとすれば、前者の発言にその欠片でもあるか。潔さの一片すらあるのだろうか。


 ところで、冒頭に挙げた小泉首相の演説である。1995年当時の村山富市首相談話を踏襲したものだというが、これぞまさしくご都合主義の極みだろう。かつての村山政権にはむしろ絶望を覚えることが多かったが、それでもいくつかは評価できる部分もあった。談話はその数少ない一つだが、それと最も遠い場所にあるのが小泉・自民党政権であり、今後はますますその傾向が強まるのは確実に感じられる。にもかかわらず、都合の良いときだけ村山談話を利用するその心性。なんと愚劣なことか。

 潔さの欠片もない下品極まりない糞発言が飛び交い、愚劣極まりない政治屋どもが「次期首相候補」などに数えられているのが現代の我が日本なのだ。問われているのはほかでもない、そうしたこの国の有り様なのである。隣国の支持も受けられずに国連安保理の常任理事国入り??。笑い話にもならぬ。ご都合主義の言説で当面の混迷を抜け出したとしても、その展望はあまりに暗い。

by tikatusin | 2005-04-24 04:26 | 罵詈讒謗


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