地下通信 [chika-tsûshin]

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2005年 07月 31日

狂気の蹉跌

 渡辺淳一という作家について、もちろん流行作家としての売れっ子ぶりは認識していたが、作品自体への深い興味やシンパシーを抱いたことはあまりなかった。いや、良い意味で懐が深いといった好評はしばしば耳にしたのだけれども、7月30日付の「朝日新聞」に寄せていた一文を目にして、あらためて認識を改めた。もっと正確に言えば、先の戦争という暗い時代を肌で知って生きてきた人間、あるいは世代によって紡ぎだされる文章の強さというか説得力に、ふっと立ち止まらせられたというべきか。

 靖国神社問題に関しての一文である。高まる中国や韓国の反発に対する日本国内の反論が「理論的でありすぎる」という渡辺は、「歴史的または法的理由をいろいろ挙げ、中国や韓国はけしからぬ、といった論理と理屈だけを並べべ、どうだ正しいだろう、と開き直っている感じである」と言ってこう続ける。
「反日感情や靖国問題は、日本の一部の識者が考えているような、理論的な問題ではなく、まさしく感情論である。こうこう、こういう理屈だから正しい、などということでなく、向こうとこちらとで、どういう感情的なわだかまりがあるか、その一点にかかわっている。要するに、極めて著しい感情論を、さまざまな理屈で押し込めようとするところに、両者の埋め難い亀裂が生じている」
 この指摘には正直、納得もする一方で少しの違和感も感じる。しかしこの後に続く渡辺の文章は、理論的に正鵠を射ているかどうかなどという以前の問題として、生々しく心を打つ。長くなるが原文のまま引用する。
 
 敗戦の年、小学校5年生だった私は、戦前、戦後を通じて、日本人と中国人、朝鮮人とのさまざまな接触の経緯を、身をもって見て、体験してきた。戦時中には北海道に住み、親戚が炭坑町に住んでいたこともあって、彼らに対する過酷な仕打ちをいくつか目撃している。
 例えば、伯父がいた三井砂川の家の裏の川沿いには、強制連行されてきた朝鮮人が寝泊まりする飯場があり、そこでは毎夜、朝鮮人がむちで打たれていると聞いていた。伯父には、絶対に行ってはいけない、と言われていたが、ある夕方、友達二人と崖を下りて近づくと、異様なうめき声がし、草むらに隠れて見ると、ほとんど全裸の朝鮮人が「アイゴー、アイゴー」と謝っているのに、さらに殴られていた。また友人の叔父さんは、中国に戦争に行き、上官に斬れと言われたので、何人も斬り殺してきた、と自慢そうに言っていた。当時はみな中国人を「チャンコロ」と呼び、弱虫ですぐ這いつくばるのだ、と教えられていた。
 さらに戦後、そのまま日本に残った在日韓国人には、明らかな差別を行ってきた。これらの人々は日本の一流企業に就職することができず、ほとんどが自由業であることからも明白である。そしていまだに、我々は婚姻や部屋を貸すに当たって、彼らに差別感を抱いている。
 理屈でなんと言おうと、ここに息づいているのは、まさしく感情論である。私の知人の45歳の在日韓国人女性は、お母さんから、「絶対、日本人と結婚してはいけない」と言い聞かされてきたという。
 同じ一つの事件でも、加害者と被害者では、まったく受け止め方が違う。第2次大戦中、日本軍は2000万人ものアジアの人々に危害を加えてきたのである。加害者はいやなことは伝えないが、被害者は当事者から子へ、子から孫へ、そして曽孫へと、百年は伝え続ける。
 この間、加害者がどのような理屈で弁明したところで無駄である。それより、曖昧な言葉で逃げず、まず一言「ごめんなさい」と、素直に謝り、態度に示すことである。
 いやと言っても仕方ない。われわれと同じ血が流れている、家族思いで優しかった父や祖父やその上の人たちが、戦争という狂気のなかで、狂人になったことがあるのだから。

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by tikatusin | 2005-07-31 23:17 | メディア
2005年 07月 28日

特異な皇室観

 c0062756_113843.jpgなんか「週刊新潮」という雑誌のことを真面目に取り上げるのもバカバカしいのだが、あまりにバカバカしすぎて腹が立つやら笑えるやらした記事があったので紹介を。

 7月28日号。題して「『阿保天皇』記事を回収しなかった『朝日新聞』の皇室観」。何とこれがトップ記事(!?)である。
 寡聞にして知らなかったのだが(知らなくてもいいのだが=笑)、記事によると朝日新聞の週末別刷り「be」が最近、天皇家の系図を掲載する中で、在原業平の父である「阿保親王」を「阿保天皇」と誤植する“事件”があったのだという。「朝日」はこれを本紙上に訂正文を掲載して対処したのだが、これがいたく「新潮」は気に食わぬらしい。

 記事曰く、かつて『女性自身』は昭和天皇の写真を裏焼きして発売中止にし、『女性セブン』は皇太子の「太」を「大」と誤植して発売を延期する騒ぎになったとか、そんなことごとを指摘し、今回の「『アホ天皇』とも読めてしまう誤植」(同誌)への対応としてはなまぬるいのではないか、と記事はいうのだ。
 評論家の勝谷誠彦は「アホ天皇と天皇をアホ呼ばわりするに等しい」というコメントを記事に寄せているが、「朝日」よりお前らの方がよっぽど不敬だろ!!という突っ込みは置いておいても(笑)、皇室関連のミスは回収や発売中止が当たり前かのような記事は同じメディアとして異様としか言いようがない。さらに記事へコメントを寄せている評論家、屋山太郎の発言になると常軌を逸している。
 「朝日は皇室に対しての崇敬の念がまるでない。皇室という存在が、我が日本人のDNAに入っていることも分からんのだ。だから、皇室記事を緊張感を持たずに扱い、間違えて刷っても回収せず、チョロっと訂正記事を出せばいいということになる。この無神経さは、考えるほどに腹立たしい」
 いやぁ、ホンマものの大バカだ。時計の針が戦時中に戻ったのかと錯覚してしまった(笑)。
 にしても、「朝日憎し」は構わぬにしても、この記事が高度なジョークでないのなら、「図らずも今回の誤植で、朝日の特異な皇室観が白日の下に晒される結果となったのである」と記事を締めくくった「新潮」の方が、よほど「特異な皇室観」を持っているといっていいだろう。
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by tikatusin | 2005-07-28 01:13 | メディア
2005年 07月 23日

懐の深さ

 c0062756_15464841.jpg7月13日付「朝日新聞」に掲載された後藤田正晴へのインタビューが興味深かった。ごく一部を引用する。

ー最近、政府要人から東京裁判が「勝者の裁きで不当」という意見が出ている。
 「第一次大戦後、ドイツが再び脅威になることを防ごうと再起できないほど過大な賠償を課した。その結果、ナチスの台頭を招いた。その反省から敗戦国の全国民に責任を負わせるのでなく、平和に対する脅威を引き起こしたナチスの戦争指導者を裁き、そこに責任を負わせる、そういう戦後処理の方式を考えだした。それがニュルンベルク裁判であり、東京裁判だ。戦勝国の国民を納得させるためにも、それは必要だった。歴史の教訓から生まれた知恵だ」

ーA級戦犯は犯罪人でないとの主張がある。
 「A級戦犯といわれる人たちが戦争に勝ちたいと真剣に努力したことを誰も疑っていない。しかし、国民の多くが命を落とし、傷つき、そして敗戦という塗炭の苦しみをなめることになった。結果責任を負ってもらわないといけない」

ー東京裁判を受諾した51年サンフランシスコ講和条約11条について「判決は受け入れたが裁判全体を認めた訳でない」との意見がある。
 「負け惜しみの理屈はやめた方がいい。講和条約は戦後日本が国際社会に復帰し、新しい日本を築く出発点だ。それを否定して一体どこに行くのか。東京裁判にはいろいろ批判もあるし不満もあった。ただ裁判結果を受け入れた以上、それにいまさら異議を唱えるようなことをしたら国際社会で信用される訳がない」

ー首相の靖国参拝を戦争責任との関係でどう考えるか。
 「東京裁判の結果、処断されたA級戦犯を神としてまつる。死者を追悼するとともに名誉をたたえる顕彰でもある。条約を締結した国の代表者がお参りすることは戦勝国の国民に対して説明がつかない。日本国民としても、敗戦の結果責任を負ってもらわなくてはならない人たちを神にするのはいかがなものか、という疑問があるだろう。首相は靖国参拝を控えるのが当然だ」

ー首相の靖国参拝を「中国に言われてやめるのはおかしい」という主張がある。
 「確かに中国に言われて決める問題ではない。講和条約を順守するかどうかの問題で、日本自身が解決すべき国際道義上のことだ。中国にも問題がないわけでない。中国当局の反日デモの警戒警備は失敗だったと思う。『警備に落ち度があった。申し訳ない』というのが大国の度量だろう。だからといって靖国に中国がとやかく言うのは内政干渉だ、けしからんというのは間違いだ」

ー中韓との関係が悪化している。
 「最近の日本の外交は戦略が欠けている。国民全体が保守化しつつあるが、それを背景に政治家がナショナリズムを煽り、強硬な態度を取れば間違いない、という空気がある。大変な過ちを犯している。米国のそばにいれば安心だというのは一つの選択だが、中国や韓国を敵に回していいはずがない。地政学的な配慮が足らん。アジア近隣各国との友好こそが大事なことだ」

 いったい今の与党・自民党の実勢はこれをどう聞くのか。かつての自民党政権を肯定するつもりなどないが、それでもかつての方が遥かにまともで懐が深かったのだな、と思わせるに十分なインタビューだ。
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by tikatusin | 2005-07-23 15:29 | メディア
2005年 07月 23日

盗聴テープ

 c0062756_1312284.jpg韓国メディアが久々に熱気を帯びているようだ。問題の震源は悪名高き情報・治安機関、国家安全企画部(安企部、現在の国家情報院)が運営した極秘盗聴組織の存在発覚だが、波紋は報道の意義や有り様を問う議論にまで発展しており、しばらく目がはなせそうもない。

 「悪名高き」と記した通り、中央情報部(KCIA)から改称した安企部とは朴正煕、全斗煥ら軍事政権下では泣く子も黙る圧倒的な権勢を誇り、盗聴はおろか拷問や誘拐、殺人等々、ありとあらゆる不法行為に手を染めた極悪機関だ。盗聴組織の存在くらいでは驚くに値しないのだが、今回の極秘盗聴組織は「文民政府」を掲げて誕生した民主化後の金泳三政権期(93ー98年)に運営されていたことから衝撃を呼んだ。
 金泳三といえば金大中と並び称される民主化運動の闘士。紆余曲折を経ながらも軍事政権に抵抗を続け、大統領就任後は情報機関による不法行為を認めない姿勢を鮮明にしていたのだから、事実なら大問題だ。もっとも、金泳三側は今回の疑惑を受けて「在任中に盗聴情報の報告を受けたこともなければ、盗聴を行わせたこともない」と完全否定しているのだが。

 それはともかく、韓国メディアによれば、安企部が運営していた極秘盗聴組織のコードネームは「ミリム(美林)」。女性協力者を暗喩する命名ではないかと囁かれているが、書記官級のチーム長を筆頭とする4人の精鋭部隊が大物政治家、官僚、財界首脳、マスコミ幹部らを標的とし、高級レストランや高級クラブに盗聴器を設置、会食や酒席での会話盗聴を繰り返していたのだという。
 精鋭とはいえ4人とはささやかな組織という感もあるが、8000本以上の録音テープを残したというから活動は極めて活発だったのだろう。組織の存在は安企部内でも最高機密とされ、盗聴結果は「ミリム報告」として安企部でもごく一部の幹部のみが把握、重要情報に関しては青瓦台(大統領官邸)にも報告されていたもようだ、と韓国メディアは伝えている。

 こうした疑惑は一部で早くから囁かれていたが、大手メディアとしていち早くスッパ抜いたのは保守系最有力紙の朝鮮日報(21日付朝刊)。しかし、この疑惑が面白いのはここから先だ。実は「ミリム」が残した録音テープの一部を有力テレビのMBCが朝鮮日報の報道より早い段階で入手していたのだ。
 いわばMBCがグズグズしているうちに朝鮮日報に先を越されてしまった形なのだが、MBCが報道をためらうのも無理がないところもある。テープには韓国最大財閥のサムスングループ幹部と最有力紙、中央日報会長の生々しい会話が録音されていたのだ。それも98年大統領選をめぐり、途轍もない額の違法政治資金をサムスングループが与党候補に流したことを裏付けるような密談内容、である。

 かつてサムスングループ系列だった中央日報は朝鮮日報、東亜日報と並んで韓国メディア界に君臨する保守メディアの代表格だが、朝鮮、東亜に比べれば比較的穏健な保守路線を唱え、問題の会長氏が米国に豊富な人脈を持つこともあって進歩派の盧武鉉政権が駐米大使という要職に抜擢、今まさ元会長氏が現役の駐米大使を務めているのだ。保守メディアと対立を続ける盧政権が元会長氏を抜擢したのは保守メディア切り崩し策だ、との指摘もあるが、これは蛇足。とにかくMBCとしてもサムスンと中央日報、さらには現役の駐米大使が絡むとあっては軽々しく報じるわけにもいかない。

 加えてMBCが盗聴テープを入手し、朝鮮日報報道を受けてテープ内容の暴露の構えを見せていることに危機感を覚えたサムスン幹部と駐米大使は報道禁止の仮処分を申請。司法当局が21日、テープ自体の報道を禁ずる決定を下してしまった。
 MBC側は「報道の自由を侵害する」と反発したが、21日夜のニュースは司法当局の決定に従ってテープ自体の報道は控えた。ところがライバル局のKBSは盗聴テープを持っているMBCより詳細に内容を報道、他の韓国メディアも集中報道に乗り出し、むしろMBCが出遅れた形になってしまった。
 おさまらないのがMBCだ。22日には司法当局の決定に逆らってテープ内容の報道に踏み切ると宣言、同日夜のメインニュースの扱いは凄まじかった。約1時間の番組の半分を裂いて盗聴内容とその分析、関連疑惑を徹底暴露し、久々に怒りに震えるジャーナリズムの神髄を見た思いがした。

 それにしても、MBCが伝えた盗聴テープは驚愕の内容だ。日本円で10億円もの不法選挙資金を与党に流すばかりか、保守メディア幹部が政治資金の供与へ主導的に関与し、果ては検察幹部への饗応等々の密談まで盛り込まれていたのである。MBCニュースのアンカーが「マスコミと権力の癒着を物語る」と言い切ったのも無理はない。これほどの内容を不法盗聴という手段で把握していた韓国情報機関の暗部には慄然とするほかないが、政官財とマスコミの癒着という病理は韓国に限らないだけに、徹底追及の構えのMBCを筆頭とする韓国メディアの現場記者へは心からの声援を送りつつ、推移を見つめたい。
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by tikatusin | 2005-07-23 01:39 | メディア
2005年 07月 21日

書評=奇跡を起こした村のはなし(吉岡忍)

 c0062756_113126100.jpg本書の「プロローグ」で著者の吉岡忍はこう記している。
 
あなたがもし旅行好きなら、日本のあちこちを旅してみて、気がつかれたはずである。このごろどこの町に行っても元気が感じられない、と。
 駅前も商店街も閑散としていて、活気がない。人気の消えた「シャッター通り」はいたるところにある。古い町並みから2、3キロも離れると、たいていどこでも新しい町が広がっているが、しかし、この新しい町にはスーパーやファミレス、コンビニやファーストフードの店が並んでいるばかりで、わざわざ訪ねたくなるような場所でもない。しかもこちらは、広がりはじめてまだまもないのに、もう目新しさを失って、だいぶ疲れ気味だ。
 (略)なぜこんなにもとりとめがなく、ばらばらで、投げやりな町になってしまったのだろう。

 全く同感だ。地元に密着した商店街が衰退する一方で、町を貫く国道沿いあたりに立ち並ぶのは大型の複合スーパー、コンビニ、ファストフード、ファミレス、レンタルビデオ店、ホームセンター・・・。
 どこも同じ顔。似たような風景。日本中に増殖するこうした景色の中に佇むと、仮に深夜まで灯がともっていたとしても、どこかうらびれて疲れ気味で、何とも物悲しい気分に襲われる。それは決して旅行者だけの感傷ではないはずだ。
 吉岡は「行政に大きな責任がある」と言う。もちろんその通りだろう。本書を読むと、村のような小さな共同体においては、行政が知恵を絞って前向きな環境を整え、村民と一体となってそれを守り育てて行くことが重要だとも感じさせる。これは本書の主人公の1人である村長が「私は高度経済成長という魔物から村を守らねばならなかった」と語ったという通り、都市による収奪に抗する弱者の生き残り戦術という色彩を帯びた原始共産主義体制風の村運営が背景にあったからかもしれない。

 本書が「奇跡を起こした村」と呼ぶ新潟県北東部の黒川村は、「疲れ気味」で「投げやりな町」とはだいぶ異なる情景を作り上げた。いや、正確に言えば、深い山間部に位置する黒川村には「投げやり」な情景に町を染めるアイテムすら寄り付かなかったのかもしれない。だが、独創的な発想と弛まぬ努力によって過疎に歯止めをかけ、出稼ぎと豪雪の村を凡百の自治体とは一線を画す風景に生まれ変わらせた。

 中心人物は「左翼嫌い」だという村長、伊藤孝二郎。1955年から半世紀近くも村長として君臨したと聞くと、何とも変化のない絶望的な停滞の村を想起してしまうが、伊藤は村の活性化策を精力的に相次いで打ち出した。村役場の若者を積極的に欧州などへと留学させ、村営の事業に次々と抜擢。水害などに苦しみ続けた村に農業や畜産、観光事業で新たな種を撒き続けた。
 これに若者らも応える。留学経験などを生かしてチーズやハムやソーセージ、地ビールやヨーグルトに蕎麦などなど、いずれも本物にこだわり、失敗も重ねつつ紆余曲折を経て斬新な事業を軌道に乗せて行く。役場の職員が村営のホテルで働き、冬期はスキー場でインストラクターにも変身する。何もかも村営事業だったというのだからまさに「ミニ社会主義」だが、村長が言う通り「企業なんかきてくれない」という寒村の生き残り戦略はこれしかない。市場原理主義に抗した(抗せざるをえなかった)村からは、苦労しながらも充実した共同体の息づかいが伝わってくる。

 こうした奇抜なアイデアを裏付けたのは意外にも国や県による補助金の積極的活用だったという。陳情に走り回り、補助金獲得に知恵を絞った村長はもちろん、役場の若者が何とか補助金をつけるために努力と研究を重ね、引き出したカネを元手に村の事業を立ち上げて行った。国や県からゲリラ的に引き出したカネを村の活性化につなげて行く様は小気味良いほどだ。「高度経済成長という魔物」から身を守る共同体運動といった風情だろうか。

 正直に記せば、本書は村を理想化しすぎているのではないか、との感も受けなくはなかったが、アイデアと努力を基盤として補助金を引っ張りだし、事業を立ち上げ、軌道に乗せて行った黒川村は、吉岡の記す通り一面では「地域振興の優等生だった」のだろう。そして過疎に歯止めをかけて凡百の村とは一線を画した情景を作り上げたのは十分に「奇跡を起こした村」に値する。

 しかし、本書によれば、その伊藤村長も〇三年に死去し、黒川村は「平成の大合併」の余波を受けて今年夏には姿を消すのだという。この国が全国を平準化させて個々人に直接働きかける方向に動いているのではないかと危惧する吉岡は最後にこう記している。
 
行政手法の根本的な転換が平成の大合併の背景にある。いくつかの市や町や村をひとまとめにすることで、これまで中央官庁からそれぞれに分配していた地方交付税や補助金を一括し、トータルでは減らすことができる。極論すれば、政府と中央省庁にとっては地域振興などはもはや主要な課題ではなくなったのだ。

 重い指摘だと思う。示唆に富んだ興味深い一冊だ。(ちくまプリマー新書、760円)
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by tikatusin | 2005-07-21 11:38 | 書評
2005年 07月 19日

悪い冗談

 c0062756_1035611.jpg少々旧聞に属するが、宮城県警の「捜査用報償費」の予算執行を停止した宮城県の浅野史郎知事に対し、警察庁の漆間巌長官が「言語道断」「警察活動全体への介入だ」などと批判を展開したのだという(6月30日)。警察庁長官が県知事を名指しで批判するのは極めて異例なのだとか。
 だが、悪い冗談もいい加減にすべきだろう。「言語道断」なのは一体全体どっちなのか。

 捜査用報償費なるもののが、実際には「協力者」などに支払われず、多くが警察の裏金に回っていたのは周知の疑惑である。その上納金で漆間警察庁長官を筆頭とする警察官僚どもはゴルフやら会食やらに興じていたのではなかったのか。少なくとも、既に紹介したように北海道警の裏金事件を描いた北海道新聞や元道警幹部による著書(これこれ)を読めば、その疑いは「濃厚」というより、もはや「事実」といって良い。

 浅野知事が県警に求めているのは2点だと伝えられている。
 まず、99年度の捜査用報償費に関する会計文書の提出。そして、それらに従事・関与した捜査員を知事自身が聴取すること。知事は「予算の適正な執行を確認されないまま執行を認めるのは知事の責任に関わる」と訴えているようだ。
 これに対し宮城県警側は「保護すべき協力者の氏名が書かれた会計文書は渡せない。捜査員の聴取も捜査に支障が出る」と拒否しているのだとか。
 わははは、馬鹿馬鹿しい。そうだそうだ、こんな要求に警察が応じられるわけがないではないか。もちろん協力者を保護するだとか、捜査に支障が出るだとか、そんな理由からではなく、実在しない協力者に報償費を「支払っていた」ことにして不正な金を作り出していたことが発覚し、警察官僚がそのアガリをチュウチュウと吸っていた裏金構造の実態が白日の下に晒されてしまうからではないのか。

 それにしても、「言語道断」「捜査に支障が出る」などという妄言は、少なくとも北海道警をはじめとする全国の警察で発覚した裏金問題の実態を明確にし、関連者の責を問い、外部にも分かる形で明確な改善措置を取ってから口にするのが順序だろう。
 だいたい、この国の警察が実際は警察庁を頂点とする国家警察の色彩を色濃くまとっているとはいえ、建前上は自治体警察の看板を掲げている宮城県警と宮城県の問題に警察庁長官が横槍を入れるなど、自らの職分もわきまえぬ越権行為だ。

 繰り返すが、警察はまず自らの明確な組織犯罪行為にきちんとケジメをつけるべきだ。でなければ、警察庁長官など詐欺師か泥棒の親玉に過ぎないではないか。
 もっとも、裏金の実態を全て白日の下に晒したら、漆間長官を筆頭とする警察庁上層部は軒並み職を追われてしまうだろうが・・・(笑)。
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by tikatusin | 2005-07-19 21:02 | 罵詈讒謗
2005年 07月 18日

書評=国家の罠〜外務省のラスプーチンと呼ばれて(佐藤優)

 c0062756_17445831.jpg3冊続けて「内部告発モノ」になったのは偶然だが、これも実に読み応えのある一冊だ。「田中眞紀子vs鈴木宗男」「伏魔殿・外務省」〜といった調子で一時期、新聞や週刊誌はおろかワイドショーまで賑わせた事件の舞台裏が克明に描かれているのはもちろんだが、「外務省のラスプーチン」とも呼ばれて国策捜査の標的となった著者への東京地検特捜部の取り調べの様子も極めて興味深い。「国策捜査」であることを隠そうともしない検事と著者の詳細で赤裸々なやり取りは貴重な歴史の記録と言えるだろう。

 本書を読み、強く印象に残ったのはやはり、外務省という組織の信じ難いほどの鵺ぶりだ。事件が田中真紀子と鈴木宗男の対立、あるいは鈴木宗男という「利権政治家」に外務省が食い荒らされたといった単純構造でないことも良くわかった。

 ではなぜ、鈴木宗男は国策捜査のターゲットとなり、塀の内側に落ちたのか。国策捜査を「時代のけじめ」をつけるために行われたと記す著者はこう言う。
 《内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換という二つの線で『時代のけじめ』をつける必要があり、その線が交錯するところに鈴木宗男氏がいる》
 この指摘は一定部分において頷ける。
 破綻金融機関トップへの捜査などに象徴されるように、そこに犯罪があるから捜査に乗り出すのではなく、捜査しなければならないターゲットがあるからそれを俎板に乗せた上で犯罪を描き出すという最近の特捜検察の特徴的な有り様は、検察捜査を腐らせるというだけでなく、検察ファッショにつながりかねない危うさを孕んでいるはずだが、であるからこそやはり鈴木宗男逮捕は危険な時代への変わり目に表出した象徴的出来事の一つだったのかもしれないとも思う。

 だが、である。やはり、いくら優秀な情報マンだったとはいえ、いち外務省職員がこれほどまでに鈴木宗男という政治家にピッタリと寄り添い、その手足のごとく動く様には異様さを感じざるを得ない。洪水のごとく流された著者への批判報道やムネオバッシングへのカウンター情報として読むなら一興以上の価値はあるが、本書のすべてに頷くわけにいかない理由もその辺にある。(新潮社、1600円)
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by tikatusin | 2005-07-18 17:48 | 書評
2005年 07月 15日

書評=警察内部告発者(原田宏二)

 c0062756_17472378.jpg実に面白く読んだ。あるいは著者の覚悟と勇気に敬服しながら興味深く読んだと言うべきか。だが、単なる内部告発本にとどまらず、読み物としての水準も決して低くない。だから、面白い。
 先に北海道新聞による北海道警の裏金疑惑追及の経緯をまとめた一冊を本ブログで紹介したが、本著者は「疑惑」が「疑惑」などでなく、「事実」であることを明確に浮き彫りにした決定的証人の一人である。
 著者は北海道警叩き上げのノンキャリア警察官だ。ただ、ノンキャリアとしてはトップランクの出世を果たし、北海道警防犯部長や方面本部長まで歴任した。裏金疑惑の発覚時は既に北海道警を退職しており、そういう意味では警察裏金事件の「共犯者」でもあるのだが、在職中の自らの振る舞いも慎重に懺悔しつつ、警察組織全体が裏金という矛盾の海にドッブリと使った実態を冷静に、そして決然と明らかにしている。これまで同種の告発がなかったわけではないが、最も生々しく核心に迫った一冊、といえるだろう。
 矛盾の焦点とはこういうことだ。現場の警察官が本来受け取るべきカネが裏金として(あるいは、受け取るべきだとの化粧を施して不正な方法で裏金を作り出して)プールされ、異動時の「餞別」等々に流用される一方、多くは上へ上へと上納され、幹部が会食やゴルフ、接待などに流用する。しわ寄せは当然、現場に行く。真面目にやっている警察官は捜査に必要なカネであっても自腹を切らざるをえず、時に身を持ち崩して行くことすらある。
 だが、最も美味しい汁を吸い続けているキャリア警察官は知らぬふりだ。著者は言う。
 「キャリアは決して泥をかぶらない。ましてや、カネの問題ではなおさらである。現在、道警に在籍するキャリアたちも、過去に在籍したキャリアたちも、裏金に関与したことはもちろん、存在自体も認めないだろう。キャリアは地元の幹部とそのOBにすべての責任を押しつけてくる。キャリアとはそういうものだ」
 こんな訴えをキャリアたちは一体どう聞くのか。
 迫真の告発である上、前述の通り興味深い読み物にもなっており、読者を退屈させることはない。比較するのも失礼だが、先に紹介した外務省キャリアによる著書とは雲泥の差だ。
 本書を読んで警察組織の暗黒と腐敗ぶりにあらためて唖然としたわけだが、実は著者に対して一部の新聞記者が発したという態度には、それ以上に唖然とさせられた。
 本書によれば、著者が告発を決意して記者会見に臨もうとしたところ、その直前まで一部の記者はこう“説得”したというのだ。
 「今からでもやめられますよ」「会見を中止したほうがいい」
 著者ははっきりと記していないが、こうした記者どもはどうやら、告発者の身の上を案じてというよりもむしろ、組織防衛に必死となる警察を“代弁”して“警告”を発したようなのだ。嗚呼、薄々気がついてはいたが、この国の大手メディアに属する記者たちはここまで腐っているのか。強い者に寄り添い、その手先になって恥じぬ記者など、甘い汁を吸い続ける厚顔無恥なキャリアと同罪か、それ以上に罪深い。
 だが、著者のような勇気ある告発者が声を上げ、北海道新聞というメディアの追及によって一部とはいえ警察の根腐れた実態があらためて明るみに出た。警察という組織がこれによって変革されるなどという期待は抱かぬが、世の中まだ希望はあると思わせる。(講談社、1700円)
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by tikatusin | 2005-07-15 17:50 | 書評
2005年 07月 09日

書評=北朝鮮外交の真実(原田武夫)

 c0062756_23533954.jpg 失礼を承知で率直に書くが、相当に期待外れの本である。何よりもまず、タイトルと内容の乖離が酷い。
 「北朝鮮外交の真実」ー。著者は2005年3月まで外務省に勤務したという。それもキャリア外交官として北東アジア課で「北朝鮮班長」まで務めたともいうのだが、ページをめくっても脱力するだけだ。おおよそ「真実」などとうたうほどの新たな材料はない。読者を欺くのもいい加減にしろ、と言ったら言い過ぎか。
 著者は反論するかもしれない。「暴露本を書くつもりはないのだ」、と。だが記された内容といえば、「暴露」や「新事実」の有無という以前に、徹頭徹尾、なんとも頭でっかちで出来の悪い論文を読まされている気分にしかならぬ。申し訳ないが、本当に愚にもつかぬ論文を延々と、である。「青臭い外交論」ならまだマシだが、「論文」のピントもずれている気がして仕方ない。曰く「メディア・アプローチ」、曰く「エージェント・アプローチ」、曰く「政経合体戦略」・・・。例えて言えば、「何とか政経塾」みたいなところでもっともらしく語られていそうな安っぽい駄論、といえば分かり易いか。
 ごく一部をあげつらえば、著者は日本の脆弱な情報収集能力を問題視する中で、後藤田正晴のこんな台詞を引用している。
 「謀略はすべきでない。かつて坂田道太防衛庁長官(74〜76年)が『ウサギは相手をやっつける動物ではないが、自分を守るために長い耳がある』と言ったが、僕は日本という国を運営するうえで必要な各国の総合的な情報を取る『長い耳』が必要だと思う。ただ、これはうっかりすると、両刃の剣になる。いまの政府、政治でコントロールできるかとなると、そこは僕も迷うんだけどね」
 この台詞には確かに後藤田の慧眼を感じる。本書の著者も後藤田を「慧眼の持ち主」とした上でこう続けている。
 「『情報』の本質を、これだけ短い言葉の中でありながらしっかりとつかんでいる(略)。『情報(インテリジェンス)』とは国家に取って政策の前提となる総合的な情報という意味で必要だという指摘である」
 うむむ・・と思いつつ否定はしない。だが、「慧眼」の持ち主である後藤田の率直にも過ぎる本音はむしろ、元キャリア警察官僚であり、日本においてはトップの「情報・工作機関」である警察庁長官まで務めた男が漏らした後半部分にあるのではないか。「うっかりすると両刃の剣になる。いまの政府、政治でコントロールできるかとなると、そこは僕も迷う」、と。
 だが、著者はせっかく引用した後段部分を完全にスルー。意図してなのか、無意識なのかと思いながら最後まで読んだが、「『裏』の世界への入り口となる情報・工作機関が、私たちの国にも必要なのだ」(最終章)というだけなのだ。どうやら著者が「真剣」で「純粋」にそう訴えているらしいのが悲しみすら誘う。良い意味でも悪い意味でも深謀や覚悟があって記しているようには見えないからだ。
 著者は外務省の、さらには日本の外交に強い「憂い」と「警告」を発しているが、皮肉っぽく言えば、こんな人物がキャリアの外務官僚として激動の対北朝鮮外交を担い、「北朝鮮班長」を務めていたということを知り、むしろ「日本外交」への不安感を増幅させた。
 ただ、本書を唯一評価せねばならない点がある。官僚機構や当局組織をさまざまな理由で離れた人間が、在任中の思いを「情報」として発信すること自体は悪い事ではない。最近増えつつあるとはいえ、日本ではこれまで少なすぎたとの感があるからだ。この点においてのみ、本書の価値を認めるが、それだけ、の一冊だ。(筑摩書房、1600円)
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by tikatusin | 2005-07-09 23:57 | 書評
2005年 07月 09日

滑稽な声明

 英グレンイーグルスでの主要国首脳会議(サミット)。居並ぶ各国の首脳を前にして英首相ブレア8日、テロに対するこんな声明を読み上げた。横にはブッシュ。後段には我が日本国首相コイズミの姿も見られた。戸惑っているような、マズいところにいるなぁ、と考えているようにも見えたのはおそらく気のせいだろう。
 さて、その様子をテレビ画像で眺めていて、はなはだ失礼だが、なんとも皮肉極まりない気分というか、もっと率直に言えば吹き出しそうにもなりそうな気分に陥った。理由は簡単だ。ごく一部だが声明を引用してみる(全文を読むなら英首相府のホームページのここを)。
 
 我々はこの野蛮な攻撃を非難する。(テロの)責任者らは人命への敬意を持っていない。我々は暴力が社会とその価値を変えることを許さない。今日の攻撃の犯人たちは人命の破壊に熱中している。テロリストは成功しないだろう。今日の爆破は我々の決心を弱めない。我々は勝利するだろう。

 無論、一般市民を無差別に傷つけたテロを容認するつもりなど毛ほどもない。だが、この声明を聞けば、なんとも不思議な気分になるほかはない。「我々」を「テロリスト」の側に置き換えるとほぼ同じ論理が成り立ってしまうのではないかと思うから、だ。
 国際社会の意向も大義名分も無視し、圧倒的な軍事力を背景として無理強いしたイラクへの、アフガンへの、あるいは他の国々へのこれまでの野蛮で野方図な攻撃と無礼な振る舞いを非難する。こうした野蛮な攻撃の責任者らは人命への敬意を払っていない。我々は暴力が社会と価値を変える事を許さない。攻撃の責任者たちは人命破壊に熱中している。攻撃は成功しないだろう。侵攻が我々の決心を弱める事はない。我々は勝利するーー、と。
 かくて暴力と憎悪の拡大再生産は止まらない。「テロリスト」も責任からは逃げ得ないのは無論だが、世界の軍事費の半分近くを擁して傲慢に振る舞い続ける米国とその追従者も今、佇まいの有り様を問われている。
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by tikatusin | 2005-07-09 01:18 | 罵詈讒謗