地下通信 [chika-tsûshin]

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2005年 03月 18日

熱狂の不快

c0062756_15133147.jpg 韓国で反日ムードが急激に高揚している。きっかけは日韓双方が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題だ。これに歴史教科書問題が火に油を注いだ。ついこの間まで日韓関係が「史上最高」などと言っていたのがウソのような暗転ぶりだ。

 もちろん問題の根底には歴史問題をめぐる日本側の不誠実極まる態度がある。「新しい歴史教科書をつくる会」なる妄想自慰史観に取り憑かれたオヤジ教科書など論外だし、韓国民の神経を逆撫でするようなクズ政治家の無責任な暴言も相次いだ。「創氏改名は朝鮮人の要望で始まった」(2003年5月、麻生太郎総務相)、「(日韓併合は)彼ら(朝鮮人)の総意で選んだ」(同10月、石原慎太郎・東京都知事)等々、数えればキリがないほどの妄想的暴言は、隣国と無用な摩擦を引き起こすという点だけ見ても政治家としての外交的センスを疑わざるを得ないばかりか、根本的にはその品性下劣さにおいて徹底的に指弾されるべき対象であるだろう。
 また、かつて植民地支配された歴史を持つ人々として、日本の憲法改正への動きや自衛隊強化に向けた動き等々、日本社会の保守化、右傾化への懸念も根強い。対日関係で「未来志向」を訴える盧武鉉政権が感情的対応の自制を訴え、対日批判を控えていたことも不満をうっ積させた面があるかもしれない。今回、島根県の「竹島の日」条例が発端となったのは、1905年に島根県告示で竹島を編入した直後に大韓帝国の外交権を奪う「第2次日韓協約」が強要され、植民支配が本格化していったという歴史背景も横たわる。日本では国交正常化40周年が強調されるが、韓国にとってはこの協約から100年という節目だ。一自治体の動きに過ぎないとはいえ、島根の条例は100年前の屈辱とオーバーラップもする。

 だが、竹島問題をめぐる韓国の熱狂、特にメディアのそれを眺めていると、ナショナリズムの興奮としか言いようのない雰囲気には違和感も禁じざるを得ない。
 主要テレビは連日トップで「わが国の領土であることは一片も疑う余地のない独島」に関するニュースを怒り交じりの表情で伝えるばかりか、独島上空や周辺に取材ヘリや船を出し、「美しき独島に翻る太極旗が大韓民国の領土であることを雄弁に物語っている」「我が警備隊が美しき独島を昼夜を問わず守っている」などといったフレーズを感情たっぷりにリポートする。
 主要新聞も同様だ。紙面のほとんどを独島関連報道に割き、一面には銃を手にした警備隊員の「凛々しい」姿を大写しにした写真を掲載、脇には「断固守護」などという大見出しを掲げ、独島防衛のためには軍常駐が必要だなどという論議が真面目に取り上げられる。果ては人気俳優ペ・ヨンジュンが新作映画に関する会見に臨めば会見主催者の制止を振り切って「独島問題をどう思うか」といった質問を繰り返し、サッカーのトップ選手・安貞桓が「独島は韓国の領土」と言明すれば「断固たる大韓男児だ」と褒め上げて報じる。
 名門・高麗大学の名誉教授なる人物はこうした最中、産経新聞が発行するオヤジ妄想雑誌「正論」に植民統治に理解を示すかのような論文を寄せて火だるまになった。「正論」などにそそのかされて愚にも付かぬ論文を書いた名誉教授氏のセンスのなさには同情する気も起きないが、職まで追われてしまう事態に発展すると疑念も生じる。

 繰り返すが、韓国側の怒りの根底には日本の妄想勢力を中心とした不誠実な歴史認識がある。これは決定的に押さえておかねばならない。だが、国民が反発し、それをメディアが単視的なスタンスで煽り、さらに熱狂が燃え広がるという現状はどこか不快感が残る。徹底的に誤解を恐れずにいえば、日本で燃え広がった拉致問題にも通底する違和感だろうか。

 拉致は許せない。被害者の気持ちを考えろ。それはその通りだ。誰もが異議を唱えない。これに北朝鮮への憎悪と蔑みが加わり、日本のメディアは北朝鮮バッシング一色に染まった。軋轢を避けて安易に走り、複眼的思考は駆逐された。他国から冷静に眺めれば、一種理解できない異様な光景だったはずだ。
 一方、韓国民にとって独島は韓国の領土である。歴史認識問題での日本の不誠実な態度には怒りが治まらない。これに疑問を唱える余地などない。だがこれも、行き過ぎれば違和感を感じる。一種異様な光景にも見える。

 もちろんこの2つの問題を並列することは色々な意味で暴論だろう。だが、本来はナショナルな枠組みから自由であるべきのメディアが一色に染まってナショナリズムを煽り、人々に多角的な視野を開かせないような状況はやはり、どことなく不快である。
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by tikatusin | 2005-03-18 14:56 | メディア
2005年 03月 15日

書評=無国籍(陳天璽)

c0062756_14151976.jpg 「無国籍」で生きるとはどういうことかーー。

 横浜で生まれ育った華僑である筆者・陳天璽は最近まで「無国籍」だった。本書の表紙の一部にもなっている彼女の運転免許証は「本籍」欄に「無国籍」と記されている。
 だが、最初から無国籍だったわけではない。「中華民国」のパスポートを持って来日し、横浜で生計を営んでいた両親が、1972年の日中国交樹立に伴う台湾との断交に際して国籍を中華人民共和国にすることも日本に帰化することも忌避し、苦悩の末に「無国籍」の道を選び取ったのである。陳天璽はこう記す。
 《日本との戦争の記憶、中国共産党政府とのイデオロギーの違い。父にとって日本や中華人民共和国の国籍を取得することは屈辱以外の何ものでもなかった》

 幼少だった陳天璽も当然「無国籍」となった。法務省民事局の資料によれば、1977年時点で日本の在住する「無国籍」者は2900人ほどに上ったという。
 本書は、こうして「無国籍」となった一人の女性が日本で育ち、やがてアメリカや香港へと留学などもするうち、自らのアイデンティティーはもちろんのこと学問や仕事、恋愛にもついてまわる「無国籍」という立場から派生する混乱と意味に戸惑い、もがき、それを乗り越えていく半生を記した“自伝”といった趣の一冊である。

 だが、読み終わって暗い気分にはならない。むしろ「無国籍」という自己存在の意義を前向きに捉え、それを「国籍」や「国家」への積極的な懐疑心へと育て上げていく姿からは、妙な国家主義がそこかしこで吹き出しつつある今だからこそ、極めて深い示唆を読む者に与えてくれる。女性ならではと思われる心性もちりばめられ、ページ繰りも爽やかに軽い。それは時に真面目で乙女チックにすぎるとも感じられるほどだが、彼女の性格なのだろう、啓蒙臭さはない。本書で紹介されている通り、海外旅行や進学、仕事選びなど日常生活に伴う労苦や偏見は深く、例によって法務省の役人の無神経な心根には反吐さえ出るのだが…。

 筆者・陳天璽は現在、日本国籍を所持している。別に日本という国家に帰属することを望んだわけではなく、海外各地を飛び回らねばならない彼女の仕事(研究者)のため、それが便利だと思っただけだという。だが日本に愛着はある。生まれ育った場所に愛着を持つのは当然だ。再び本書からの引用。
 《人は本来、いろいろな場所に愛着を持ち、いろいろな人によって支えられて生きて行く。だからアイデンティティも一元的なものではありえない。(略)人はしばしば、育った場所に愛着を持ち、愛する家族、そして愛する人を支えに生きるものである。国籍を持つ人も、無国籍の人も、みな変わらず同じだ。》
 《国と国の狭間にある人たちは、いろんなところに愛着があるため、愛着のある国に対しては、どの国も安寧であってほしいと願っている。(略)どちらか一つの国を選ぶということは、到底できない。》

 生まれ育った日本に愛着はある。故国である台湾に対しても同様だ。留学先の米国、香港、両親の故郷である中国。すべてに愛着があり、一つを選ぶことなどできない。日本国籍を取得した陳天璽だが、アイデンティティは今もこれからも「無国籍」だと言う。
 本書の最後には、陳天璽が「一番ほっとする」という横浜・中華街への心からの想いが印象深く記されている。そう、誰もが生まれ育った街や思い出深い場所に限りない愛着を持つのだ。だが、それを国家の枠で規定する必要はないし、規定すべきではない。まして、偏狭な国家主義から生ずる「国家への愛」なるものを声高に押し付けようとする愚行など、文字通り害悪を垂れ流すだけだ。
 国家の枠に閉じこもるのではなく、国家の枠を超えて、あるいは国家の枠にとらわれずに思考し、行動する。そんな視座を「無国籍」という境遇に育った一人の女性の半生から描き出してくれる本書は、繰り返しになるが「国家」なるものが気味悪いほど声高に強調される今こそ、広く読まれるべきだろう。好著である。(新潮社、1400円)
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by tikatusin | 2005-03-15 14:20 | 書評
2005年 03月 14日

やれやれ

c0062756_1126527.jpg 何日か前に罵詈讒謗を浴びせた都合上、ごく簡単にフォローしておこうと思う。どうやら千葉県は北朝鮮にならずにすんだようである(笑)。

 結果はご存じの通り堂本暁子・現知事の再選。にしても、約6千票差という超激戦だったというから、北朝鮮化を望む阿呆は多いのだなぁと暗澹たる気持ちにもさせられたが。だって「千葉保安隊」だよ(笑)。尋常な神経とは思えない。

 一方、TBSプロデューサーから参院議員を経て千葉県知事に就任した堂本氏。「草の根」を訴え、無党派層の支持を追い風に誕生した知事だが、1期目は目立った成果があったようにも見えなかった。それでも「千葉保安隊」よりは百倍マシ。やれやれ、である。
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by tikatusin | 2005-03-14 11:28 | 罵詈讒謗
2005年 03月 14日

買収の妄想

 今更ながらの話題だが、日本ではホリエモン率いるライブドアによるニッポン放送買収合戦が世間を賑わせているようだ。簡単に言えば、「公共性」の高いと自称する「フジサンケイグループ」なるメディア企業体、すなわち旧来型の鈍重なマスコミコンツェルンが新興のベンチャー企業が仕掛ける買収戦に必死の「防衛戦」を繰り広げているーー、そんな構図だろうか。
 一方、韓国では日韓が領有権を主張する竹島(韓国名では「独島」)をめぐって韓国側の反日感情に火がつき、ここにきてまたぞろ歴史教科書問題が鎌首をもたげ、日韓関係の最大の摩擦要因に浮上しつつあるようだ。韓国側で攻撃の焦点となっているのはご存じ、「新しい歴史教科書をつくる会」主導によって扶桑社が発行にあたる中学用歴史教科書だ。冷静に眺めれば、自称「自虐的な歴史観は許さない」とほざく当該教科書の作成者一派の主張なるもの、「自慰的」な妄想に取り憑かれたオジサン史観としか思えないのだが。

 それはともかく、一見無関係に見える2つのホットイッシュー。というより完全に無関係としかいいようがないのだが、突然のように奇妙極まりない妄想を抱いてしまったのである。ほかでもない、いっそのことホリエモン率いるライブドアは、リーマンなんたらとかいう欧米系の外資からの支援など受けず、発想転換的に別の資金源を開拓することが可能なのではないか。
 そう、ライブドアは韓国政府の大々的支援を受ければいいのである。さすれば、「フジサンケイグループ」にウンコの切れ端のようにくっついている扶桑社など思いのまま。「新しい歴史教科書」などという妄想自慰的な教科書の撲滅はもちろん、「正論」などという日本の恥さらしのようなマニア雑誌を「更正」するどころか、完全に意のままに操ることが可能なのだ(笑)。

 北朝鮮と対峙する緊張状態の続く韓国だが、今や世界で12位という堂々たる経済大国。代表企業体であるサムスンは昨年、何と1兆円の利益をあげ、トヨタと並ぶ世界企業に成長した。言うまでもなく、リーマンなんやらとは比べるのは失礼なほど潤沢な資金源である。韓国が資金支援し、ライブドアが「フジサンケイグループ」を支配下に収める。素敵としかいいようのない夢ではないか(笑)。

 暴論は承知で言うが、これまで「面白くなければテレビじゃない」と称する一方、自らが抱える企業体としての悪臭やジャーナリズムとは懸け離れたメディア産業の傍若無人ぶりを発揮してきたフジテレビ、産経新聞を中核とする「フジサンケイグループ」など、外資に支配されても痛くも痒くもない。むしろ日本のジャーナリズムを良くこそすれ、悪くすることは欠片もないと断言できる。少なくとも、しょーもない「自慰」史観で北東アジアに混乱の目を引き起こすだけの「歴史教科書」などつくる企業体など、消え去っても勿怪の幸いである。消え去れ。

 実を言えば「面白くなければテレビじゃない」というフレーズ自体、嫌いではない。むしろメディアはやはり面白くなければいけないのだ。正直、今のメディアは面白くなさすぎる。だが「フジサンケイグループ」の「面白路線」は根本に腐臭(「産経新聞」や「正論」に関しては「老人臭」=苦笑)しか漂わない。

 思想なきドンキホーテに見える(少なくとも私にはそう感じられる)ライブドア。その点でシンパシーを欠片も感じられないでいるが、腐臭漂う既成のマスコミコンツェルンを破壊するという一点においてのみ、野次馬の支援を送りたいと思う。んで、リーマンなんやらの資金ではなく、韓国の支援で買収戦に勝利を収めるのである。フジテレビもその方が幸せなんじゃないのかなぁ〜。「冬のソナタ」をはじめとする韓流ドラマに非現実的に法外なカネを払わずに放映できるかもしれないし(笑)。
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by tikatusin | 2005-03-14 02:08 | メディア