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カテゴリ:書評( 22 )


2005年 11月 18日

書評=「日経新聞の黒い霧」(大塚将司)

c0062756_11264553.jpg 爆笑。いかに日本のマスコミが病んでいるか、実によく分かる良著。
 著者は日本経済新聞の経済部などで長く活躍した記者。鶴田卓彦という腐りきったトップの愚行と不正を現役部長として勇敢にも告発し、いったんは懲戒解雇処分を受けたものの裁判闘争で撤回させた猛者だ。
 本書からは、鶴田という田舎者の小さな「独裁者」が「大手マスコミ」の中でデカイ顔をして跋扈し、10年もトップの座に君臨し、愛人の経営する高級クラブに入り浸り、にもかかわらず周辺の茶坊主どもはひたすら胡麻を擦るだけという絶望的な「言論機関」の姿が浮かび上がる。「ジャーナリズム」を掲げて社会を律しようとするものが、自らのアタマの蠅も追えぬ滑稽は、日経に限らぬのだろう。
 にしても、もっとも笑ってしまったのは以下の部分。
 
日経新聞の図書室も『噂の真相』は取っていて閲覧できるのだが、『噂の真相』と『選択』の2誌だけは資料室の担当者に申し入れないと読めないことになっていた。表向きは「自由に閲覧されると盗まれる」との理由だったが、社内では「誰が読むのかチェックするためだ」と陰口を叩く者もいた。(242ページ)

 自由に閲覧されると盗まれるって一体…(苦笑)。もちろん「誰が読むのかチェックするためだ」という方が「正解」なのだろうが、「言論機関」の資料室で言論に制限が加えられているのだから、これこそまさにビョーキだろう。日経社員はこういうことに誰も文句を言わぬのか。(講談社、1890円)
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by tikatusin | 2005-11-18 11:29 | 書評
2005年 11月 01日

いくつかの良書など

 反フェミ・靖国大好きの狂信的オボッちゃまが官房長官、植民地の血を吸って太った財閥の下品さ溢れる末裔が外相。ただただ薄ら寒く見える青き秋の空。

c0062756_10522794.jpg 「下山事件 最後の証言」(柴田哲孝) 抜群に面白い。事件に深く関与したとみられる「亜細亜産業」。ナゾの貿易会社に籍を置いたのが著者の祖父。そして叔父や叔母、あるいは母の口から飛び出す下山事件と祖父を取り巻く人物たちの「点と線」ー。中でも「亜細亜産業」総帥だった矢板玄との「単独会見」のやり取りなどは圧巻だ。
 事件について「ほぼその全容を解明できたと確信している」(第5章)というのが実際のところどうなのか、「下山病患者」でない私には図りかねるが、下手なサスペンス小説よりよほどスリリング。事件はやはり、満鉄や軍閥、右翼、左翼、GHQ、CIA、そして戦後の自民党政権と米国等々をつなぐ線が交錯する中で真相が闇に葬られていったのだろうと深く納得する。ただ、やはり「下山病患者」でない読者の立場からいえば、事件をめぐるあまりに細かな「復習」部分には少々辟易したのも事実(「下山病患者」にとっては重要なのだろうが)。しかしそれでも実に面白く、一読の価値ある一冊。(祥伝社、2100円)

c0062756_10543912.jpg 「噂の女」(神林広恵) 昨年4月に「黒字休刊」に踏み切った『噂の真相』で16年間活躍した「女性デスク」による「ウワシン戦記」。これも抜群に面白い。先に紹介した編集長、岡留安則氏による「『噂の真相』25年戦記」(集英社新書)よりも現場の生々しい様子が描かれて読ませる。バブル真っ盛りのころに短大を卒業して損保会社、広告制作会社などに務めていたノンポリの女性。それがウワシン入りし、戸惑いながらもスキャンダル編集者として立派に育っていく(?)姿には興味シンシン。その果てに東京地検特捜部による極めて不当な「報復捜査」を受け、名誉毀損で前科者(執行猶予中)にさせられてしまうわけだが、限りないノーテンキぶりを発揮する岡留編集長とは対照的に、こんなに悩んで傷ついていたこと初めて知った(笑)。にしても日本の司法は絶望的に病んでいる、とあらためて思わせる。それに和久峻三って、なんてイヤなヤツ!(笑)。で、ウワシンってやっぱ面白かったなぁとあらためて実感。(幻冬舎、1500円)

c0062756_10534132.jpg 「大仏崩壊 バーミヤン遺跡はなぜ破壊されたのか」(高木徹) NHKの現役ディレクターにして「戦争広告代理店」(講談社)で評判を呼んだ著者の新作。民衆の期待を背負って登場したアフガニスタンのタリバン政権がアルカイダに“浸食”され、異様な政体へと変質していく様が「大仏破壊」を軸に興味深く描かれている。関係者への丁寧な直接取材を基にしており、大手メディアの報道では伺えなかったタリバン政権とアルカイダの関係が鮮やかに浮かぶが、最大の「悪役」であるオサマ・ビンラディンを極単純な「悪役」に描いて疑いすらもっていないようなのはどうしたことか。他の人物の人間像が一定程度浮かぶのに比して、ビンラディンに関しては全く人間像が描かれない。ビンラディンという怪物がなぜ生まれたのか、米国等々との悪縁もほとんど触れられない。意図的なのか、意図せざるものなのかは不明だが、肝心な部分を避けて漂流している感が拭えない。しかしそれでも読み物としては面白く、アフガニスタンという国で何が起きたかをおさらいするには一興か。(文藝春秋、1650円)
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by tikatusin | 2005-11-01 10:54 | 書評
2005年 09月 26日

靖国の神々

 『文学界』(文藝春秋)10月号に作家の半藤一利が書いていた「偽作『安吾巷談』靖国の神々」が面白かった。坂口安吾の『安吾巷談』を擬した一文は、“安吾”がかつて文藝春秋社で担当編集者だったこともある半藤と絡み合いながら「靖国」を語るとの形式を取っているのだが、極めて興味深い「偽作」に仕上がっている。

 詳細は省くが、この一文の中で靖国神社の歴史を詳細に振り返った“安吾”は、靖国を「勤皇第一の思想を徹底」して「天皇のためにその身を捨てることのできる勇敢なる兵士の養成」のために建立されたと論じ、こう断言している。
 
東京招魂社までは、日本文化の伝統をひいたそもそもの鎮魂・慰霊のあり方が生きていた。しかし、そこに社格があたえられ靖国神社になってからはもう、九段上は国家防衛政策遂行のための強力な一支柱となった。(略)靖国神社がいかに特別の国家神道の具現たる社であったことか。いいかえれば、靖国神社は古来の神道とはまったく異なる日の浅い宗教である。

 さらに“安吾”は“半藤”とともに現代の「靖国神社」を実際に訪れてルポをする。ここで“半藤”が
いやぁ、オドロキました。あの売店に並んでいる本。すべて参拝推進派の今をトキメク先生のものばかり。この方たちはまた第9条を改正して戦争のできる軍隊をつくろうと主張されている方たちでありまして、その他の本はありません。いまの靖国問題は第9条と完全にリンクしているのであります

などと声を張り上げ、“安吾”は現代の「靖国」を見た感想をこう記す。
 
いまの靖国神社は明治・大正・昭和戦前の3代ではたしてきた自分たちの歴史的性格も、歴史的役割もいっさい隠したりしない。いわんや改ざんをおいてをや、とにかく堂々としている。ここでは「支那事変」「大東亜共栄圏」などという軍国日本の歴史解釈にもとづく言葉が大手をふっている。それにしても昭和の戦争を一から十まで自衛戦争として全面肯定する靖国神社の史観は、あまりにアッパレすぎて言葉を見失う。ここでは無能な指揮官の無責任な戦争指導によって、悲惨な死を死ななければならなかった実に多くの兵士たちの無念、悲憤、絶望はいっさいない。ひとしく醜の御楯といでたった英雄なのである。神々なのである。人間のこころの問題には一顧だにくれようとしない。場違いなところというよりも、まるで昭和戦前にいるようだ。ここにくると過去の戦争についての国家責任も、日本人の責任もまったくなかったと思わせられてしまう。

 「偽作」ではなく実際に安吾が執筆していればもっと痛烈だったのではないかなぁ、とも思うのだが、それでも実に適確、明快な靖国観。「2005年の坂口安吾」という『文学界』の特集の中にこのような作品を潜り込ませるあたりも秀逸だ。あらためて記すまでもなく半藤は『文藝春秋』編集長などを務め、最近では『昭和史』(平凡社)などの著作が注目を集めた。これも実に興味深い一冊であり、一読の価値あり、だ。
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by tikatusin | 2005-09-26 13:07 | 書評
2005年 09月 14日

いくつかの良書

 9・11衆院選ショックから立ち直れていないので(ウソ)、最近目にした本の中から印象に残ったのを幾つか短信風にまとめて紹介。いずれも一読に値する物ばかりだ。
 にしても、つくづく信じ難き阿呆な民度しかないんだな、我が日本は!!(トホホ)

c0062756_1865141.jpg「監視カメラ社会〜もうプライバシーは存在しない」(江下雅之) タイトルこそ「監視カメラ」と冠されているが、監視カメラにとどまらず米国防総省が開発した地球規模の通信傍受システム「エシュロン」やFBIのメール傍受システム「肉食獣」などからネットや社内メールといった身近なものまで、国家・個人レベルで拡散する監視システムの実態をコンパクトに概観した一冊。世界的レベルで急速に進展する「監視・管理社会化」の現状を網羅的に知ることができる。著者はいわゆる教条主義的な反監視・管理論者ではなく、筆致はむしろ淡々。そして、既に監視を逃れる術などはないのだから我々にできるのは有効な監視を選択するという道しかないーとの指摘は現実を冷徹に見つめて秀逸だが、「もうプライバシーは存在しない」というサブタイトルを実感してやっぱり恐怖。(講談社+α新書、882円)

c0062756_1873637.jpg「〈犯罪被害者〉が報道を変える」(河原理子、高橋シズエ編) 現場記者や犯罪被害者がともに報道被害について考え、その改善案を探った一冊。編者を務めたのは地下鉄サリン事件で夫を失った高橋シズエさんと朝日新聞記者の河原理子氏。河原氏をはじめとする記者が高橋さんら犯罪被害者を招いて続けた勉強会の記録などをまとめたものだというが、報道被害の実態と現場記者たちの抱える「良心の苦悩」が滲み出た良著。現場記者にはまだまだ何とか事態を改善したいというエネルギーが残されていることを知らさせる。最近のメディア状況を見ると、そのエネルギーはあまりに微弱で無力には感じられるのだけれど…。(岩波書店、1890円)

c0062756_1863547.jpg「『生きる』という権利〜麻原彰晃主任弁護人の手記」(安田好弘) 数々の殺人事件のほか日本赤軍の丸岡修、泉水博、そしてオウムの麻原彰晃の主任弁護人までを務め、死刑廃止運動にも熱心に取り組んできた硬骨の弁護士による手記。著者自身も2002年に住専事件をめぐる強制執行妨害という信じ難きデッチ上げ容疑で逮捕されるという捜査機関の横暴による「被害者」となったことは良く知られるが、事件の加害者や被害者になるのはたいていが「弱い人」であり、無条件に「弱い人」に共感を覚えるーという著者には頭が下がる。こうした弁護士の存在は日本の法曹界における唯一の光。(講談社、1890円)

c0062756_187576.jpg「戦争の世紀を超えて」(姜尚中、森達也) 気鋭の政治学者・姜尚中とドキュメンタリー作家・森達也による対談集。「おれたちは戦争を知っているから絶対それには反対するんだという親父的な政治家たちの世代が終わったときに日本はどうなるのか。強硬派はなぜか二世や三世議員に多い」「今のこの社会が共有しているのは被害者の哀しみではなく、加害者への表層的な憎悪だ。第三者だからこそ気軽に憎悪を発動する」と言う森。「なぜ加害者である日本が平和となり、解放された我々が苦難の道を歩んで桎梏の中にいるのか。それはすごく多重的なルサンチマンを作り出したと思う」「僕はただ記憶することがアプリオリにいいことだとは思わない。記憶することと忘却することの両面が持っている問題点を、戦争の問題として捉え直して、そこを超えていかなくてはいけない」という姜。ポーランド、ドイツ、韓国、日本といった国々に残る「戦争の記憶」が刻まれた場所を訪れて対談した2人の発言の積み重ねは一読の価値がある。(講談社、1890円)
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by tikatusin | 2005-09-14 18:10 | 書評
2005年 09月 05日

書評=言論統制列島(鈴木邦男、斎藤貴男、森達也)

c0062756_0425715.jpg あらためて紹介するまでもない気鋭の三論客による対談集。「書評」などをかしこまって書く必要もなく、軽快で痛快で明快、あっという間に読み終わってタメになるお薦めの一冊。真っ当な言論が少なくなる一方な今だからこそ、貴重な発言集だ。ボンボン2世議員やら西尾幹二やら三浦朱門やらといったマッドな連中を遠慮会釈なく、そして極めて真っ当に切り刻んでくれる。例えば斉藤の以下のような発言。
 
小泉純一郎をはじめ、安倍晋三、麻生太郎、平沼赳夫、福田康夫、中川昭一・・・。50、60にもなって親の七光りで権力を握っているだなんて、普通なら恥ずかしくて首をくくりたくなると思うんだけど、彼らはそうではなくて、国を背負った気になっちゃうことができるんです。

 その通り!!(笑)。というわけで詳しい論評は加えないが、森達也の以下の発言が面白かったので、もう一つだけ引用して紹介。
 
イラクの人質事件で「週刊新潮」が、拘束された3人に対しての自己責任論と誹謗中傷の記事を載せました。知り合いの記者に聞いたのだけど、世相の逆を行くつもりで書いたら、あっさりと世相が乗っかっちゃってきたので、編集部もびっくりしたそうです。その意味では「週刊新潮」の姿勢は、あえてマジョリティに異を唱えるという雑誌ジャーナリズムの王道なんです。ところがそれが異ではなくなってきている。全体の軸が急激に動いているんですね。

 そうかぁ〜、社会が「週刊新潮」化してるのか〜。極めて正鵠を得た鋭い指摘だと思うし、笑ってる場合じゃないんだが、それにしても気持ち悪すぎだ、最近のこの国は。(講談社、1500円)
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by tikatusin | 2005-09-05 00:47 | 書評
2005年 08月 08日

書評=半島を出よ(村上龍)

 c0062756_0183575.jpg各メディアの書評欄で軒並み取り上げられ、大方では好評を博しているらしい村上龍の新作小説。一部書評は「村上龍の代表作となるだろう」とまで絶賛していたが、とんでもない、正直言ってがっかり、の凡作だ。安易で陳腐な発想、現実感もドライブ感もない描写、だらだらとしているだけの構成、どこをとっても期待はずれだった。
 あくまで備忘録として簡単にストーリーを記しておけば、物語の舞台は経済破綻に喘ぐ数年後の日本。北朝鮮の「反乱軍」が福岡を占拠し、なす術もない日本政府は福岡を封鎖するだけで右往左往。だが社会からドロップアウトした若者たちが立ち上がり、反乱軍を・・・・・というお話。
 にしても、こう書いてみてあらためてストーリーのあまりの陳腐さに泣けてくる。村上龍マニアでもなんでもないが、これまで読んだ「コインロッカー・ベイビーズ」から「69(シックスティ・ナイン)」などなどにいたるまでの作品と比しても、相当にレベルが低いのではないか。

 もちろん、北朝鮮の「反乱軍」という絶望的に安易なアイテムを主軸に置いているとはいっても、麻生幾風(笑)の妄想危機管理ヒステリー的な安直さは巧みに避けようとした節は伺える。読んでいて時折、ふとページを繰る手が止まるような描写も散見された。
 だがそれでも、村上龍といえば一応、当代随一の売れっ子物書きであるはず。その手になる上下巻、400字詰め原稿用紙で1600枚を超えるという「大作」は、下巻の末尾に記された大量の「参考文献」が逆にむなしくさえ思える陳腐な作品だった。いっそのこと半分以下の分量に圧縮して軽妙なドライブ感を高めたら一定の読み物になるのではないか、と言ったら素人の暴言か。あるいは、こんな作品を絶賛するメディアの批評力に呆れたと言ったら、これも言い過ぎだろうか。(幻冬社、上巻・1890円、下巻・1995円)
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by tikatusin | 2005-08-08 00:25 | 書評
2005年 07月 21日

書評=奇跡を起こした村のはなし(吉岡忍)

 c0062756_113126100.jpg本書の「プロローグ」で著者の吉岡忍はこう記している。
 
あなたがもし旅行好きなら、日本のあちこちを旅してみて、気がつかれたはずである。このごろどこの町に行っても元気が感じられない、と。
 駅前も商店街も閑散としていて、活気がない。人気の消えた「シャッター通り」はいたるところにある。古い町並みから2、3キロも離れると、たいていどこでも新しい町が広がっているが、しかし、この新しい町にはスーパーやファミレス、コンビニやファーストフードの店が並んでいるばかりで、わざわざ訪ねたくなるような場所でもない。しかもこちらは、広がりはじめてまだまもないのに、もう目新しさを失って、だいぶ疲れ気味だ。
 (略)なぜこんなにもとりとめがなく、ばらばらで、投げやりな町になってしまったのだろう。

 全く同感だ。地元に密着した商店街が衰退する一方で、町を貫く国道沿いあたりに立ち並ぶのは大型の複合スーパー、コンビニ、ファストフード、ファミレス、レンタルビデオ店、ホームセンター・・・。
 どこも同じ顔。似たような風景。日本中に増殖するこうした景色の中に佇むと、仮に深夜まで灯がともっていたとしても、どこかうらびれて疲れ気味で、何とも物悲しい気分に襲われる。それは決して旅行者だけの感傷ではないはずだ。
 吉岡は「行政に大きな責任がある」と言う。もちろんその通りだろう。本書を読むと、村のような小さな共同体においては、行政が知恵を絞って前向きな環境を整え、村民と一体となってそれを守り育てて行くことが重要だとも感じさせる。これは本書の主人公の1人である村長が「私は高度経済成長という魔物から村を守らねばならなかった」と語ったという通り、都市による収奪に抗する弱者の生き残り戦術という色彩を帯びた原始共産主義体制風の村運営が背景にあったからかもしれない。

 本書が「奇跡を起こした村」と呼ぶ新潟県北東部の黒川村は、「疲れ気味」で「投げやりな町」とはだいぶ異なる情景を作り上げた。いや、正確に言えば、深い山間部に位置する黒川村には「投げやり」な情景に町を染めるアイテムすら寄り付かなかったのかもしれない。だが、独創的な発想と弛まぬ努力によって過疎に歯止めをかけ、出稼ぎと豪雪の村を凡百の自治体とは一線を画す風景に生まれ変わらせた。

 中心人物は「左翼嫌い」だという村長、伊藤孝二郎。1955年から半世紀近くも村長として君臨したと聞くと、何とも変化のない絶望的な停滞の村を想起してしまうが、伊藤は村の活性化策を精力的に相次いで打ち出した。村役場の若者を積極的に欧州などへと留学させ、村営の事業に次々と抜擢。水害などに苦しみ続けた村に農業や畜産、観光事業で新たな種を撒き続けた。
 これに若者らも応える。留学経験などを生かしてチーズやハムやソーセージ、地ビールやヨーグルトに蕎麦などなど、いずれも本物にこだわり、失敗も重ねつつ紆余曲折を経て斬新な事業を軌道に乗せて行く。役場の職員が村営のホテルで働き、冬期はスキー場でインストラクターにも変身する。何もかも村営事業だったというのだからまさに「ミニ社会主義」だが、村長が言う通り「企業なんかきてくれない」という寒村の生き残り戦略はこれしかない。市場原理主義に抗した(抗せざるをえなかった)村からは、苦労しながらも充実した共同体の息づかいが伝わってくる。

 こうした奇抜なアイデアを裏付けたのは意外にも国や県による補助金の積極的活用だったという。陳情に走り回り、補助金獲得に知恵を絞った村長はもちろん、役場の若者が何とか補助金をつけるために努力と研究を重ね、引き出したカネを元手に村の事業を立ち上げて行った。国や県からゲリラ的に引き出したカネを村の活性化につなげて行く様は小気味良いほどだ。「高度経済成長という魔物」から身を守る共同体運動といった風情だろうか。

 正直に記せば、本書は村を理想化しすぎているのではないか、との感も受けなくはなかったが、アイデアと努力を基盤として補助金を引っ張りだし、事業を立ち上げ、軌道に乗せて行った黒川村は、吉岡の記す通り一面では「地域振興の優等生だった」のだろう。そして過疎に歯止めをかけて凡百の村とは一線を画した情景を作り上げたのは十分に「奇跡を起こした村」に値する。

 しかし、本書によれば、その伊藤村長も〇三年に死去し、黒川村は「平成の大合併」の余波を受けて今年夏には姿を消すのだという。この国が全国を平準化させて個々人に直接働きかける方向に動いているのではないかと危惧する吉岡は最後にこう記している。
 
行政手法の根本的な転換が平成の大合併の背景にある。いくつかの市や町や村をひとまとめにすることで、これまで中央官庁からそれぞれに分配していた地方交付税や補助金を一括し、トータルでは減らすことができる。極論すれば、政府と中央省庁にとっては地域振興などはもはや主要な課題ではなくなったのだ。

 重い指摘だと思う。示唆に富んだ興味深い一冊だ。(ちくまプリマー新書、760円)
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by tikatusin | 2005-07-21 11:38 | 書評
2005年 07月 18日

書評=国家の罠〜外務省のラスプーチンと呼ばれて(佐藤優)

 c0062756_17445831.jpg3冊続けて「内部告発モノ」になったのは偶然だが、これも実に読み応えのある一冊だ。「田中眞紀子vs鈴木宗男」「伏魔殿・外務省」〜といった調子で一時期、新聞や週刊誌はおろかワイドショーまで賑わせた事件の舞台裏が克明に描かれているのはもちろんだが、「外務省のラスプーチン」とも呼ばれて国策捜査の標的となった著者への東京地検特捜部の取り調べの様子も極めて興味深い。「国策捜査」であることを隠そうともしない検事と著者の詳細で赤裸々なやり取りは貴重な歴史の記録と言えるだろう。

 本書を読み、強く印象に残ったのはやはり、外務省という組織の信じ難いほどの鵺ぶりだ。事件が田中真紀子と鈴木宗男の対立、あるいは鈴木宗男という「利権政治家」に外務省が食い荒らされたといった単純構造でないことも良くわかった。

 ではなぜ、鈴木宗男は国策捜査のターゲットとなり、塀の内側に落ちたのか。国策捜査を「時代のけじめ」をつけるために行われたと記す著者はこう言う。
 《内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換という二つの線で『時代のけじめ』をつける必要があり、その線が交錯するところに鈴木宗男氏がいる》
 この指摘は一定部分において頷ける。
 破綻金融機関トップへの捜査などに象徴されるように、そこに犯罪があるから捜査に乗り出すのではなく、捜査しなければならないターゲットがあるからそれを俎板に乗せた上で犯罪を描き出すという最近の特捜検察の特徴的な有り様は、検察捜査を腐らせるというだけでなく、検察ファッショにつながりかねない危うさを孕んでいるはずだが、であるからこそやはり鈴木宗男逮捕は危険な時代への変わり目に表出した象徴的出来事の一つだったのかもしれないとも思う。

 だが、である。やはり、いくら優秀な情報マンだったとはいえ、いち外務省職員がこれほどまでに鈴木宗男という政治家にピッタリと寄り添い、その手足のごとく動く様には異様さを感じざるを得ない。洪水のごとく流された著者への批判報道やムネオバッシングへのカウンター情報として読むなら一興以上の価値はあるが、本書のすべてに頷くわけにいかない理由もその辺にある。(新潮社、1600円)
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by tikatusin | 2005-07-18 17:48 | 書評
2005年 07月 15日

書評=警察内部告発者(原田宏二)

 c0062756_17472378.jpg実に面白く読んだ。あるいは著者の覚悟と勇気に敬服しながら興味深く読んだと言うべきか。だが、単なる内部告発本にとどまらず、読み物としての水準も決して低くない。だから、面白い。
 先に北海道新聞による北海道警の裏金疑惑追及の経緯をまとめた一冊を本ブログで紹介したが、本著者は「疑惑」が「疑惑」などでなく、「事実」であることを明確に浮き彫りにした決定的証人の一人である。
 著者は北海道警叩き上げのノンキャリア警察官だ。ただ、ノンキャリアとしてはトップランクの出世を果たし、北海道警防犯部長や方面本部長まで歴任した。裏金疑惑の発覚時は既に北海道警を退職しており、そういう意味では警察裏金事件の「共犯者」でもあるのだが、在職中の自らの振る舞いも慎重に懺悔しつつ、警察組織全体が裏金という矛盾の海にドッブリと使った実態を冷静に、そして決然と明らかにしている。これまで同種の告発がなかったわけではないが、最も生々しく核心に迫った一冊、といえるだろう。
 矛盾の焦点とはこういうことだ。現場の警察官が本来受け取るべきカネが裏金として(あるいは、受け取るべきだとの化粧を施して不正な方法で裏金を作り出して)プールされ、異動時の「餞別」等々に流用される一方、多くは上へ上へと上納され、幹部が会食やゴルフ、接待などに流用する。しわ寄せは当然、現場に行く。真面目にやっている警察官は捜査に必要なカネであっても自腹を切らざるをえず、時に身を持ち崩して行くことすらある。
 だが、最も美味しい汁を吸い続けているキャリア警察官は知らぬふりだ。著者は言う。
 「キャリアは決して泥をかぶらない。ましてや、カネの問題ではなおさらである。現在、道警に在籍するキャリアたちも、過去に在籍したキャリアたちも、裏金に関与したことはもちろん、存在自体も認めないだろう。キャリアは地元の幹部とそのOBにすべての責任を押しつけてくる。キャリアとはそういうものだ」
 こんな訴えをキャリアたちは一体どう聞くのか。
 迫真の告発である上、前述の通り興味深い読み物にもなっており、読者を退屈させることはない。比較するのも失礼だが、先に紹介した外務省キャリアによる著書とは雲泥の差だ。
 本書を読んで警察組織の暗黒と腐敗ぶりにあらためて唖然としたわけだが、実は著者に対して一部の新聞記者が発したという態度には、それ以上に唖然とさせられた。
 本書によれば、著者が告発を決意して記者会見に臨もうとしたところ、その直前まで一部の記者はこう“説得”したというのだ。
 「今からでもやめられますよ」「会見を中止したほうがいい」
 著者ははっきりと記していないが、こうした記者どもはどうやら、告発者の身の上を案じてというよりもむしろ、組織防衛に必死となる警察を“代弁”して“警告”を発したようなのだ。嗚呼、薄々気がついてはいたが、この国の大手メディアに属する記者たちはここまで腐っているのか。強い者に寄り添い、その手先になって恥じぬ記者など、甘い汁を吸い続ける厚顔無恥なキャリアと同罪か、それ以上に罪深い。
 だが、著者のような勇気ある告発者が声を上げ、北海道新聞というメディアの追及によって一部とはいえ警察の根腐れた実態があらためて明るみに出た。警察という組織がこれによって変革されるなどという期待は抱かぬが、世の中まだ希望はあると思わせる。(講談社、1700円)
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by tikatusin | 2005-07-15 17:50 | 書評
2005年 07月 09日

書評=北朝鮮外交の真実(原田武夫)

 c0062756_23533954.jpg 失礼を承知で率直に書くが、相当に期待外れの本である。何よりもまず、タイトルと内容の乖離が酷い。
 「北朝鮮外交の真実」ー。著者は2005年3月まで外務省に勤務したという。それもキャリア外交官として北東アジア課で「北朝鮮班長」まで務めたともいうのだが、ページをめくっても脱力するだけだ。おおよそ「真実」などとうたうほどの新たな材料はない。読者を欺くのもいい加減にしろ、と言ったら言い過ぎか。
 著者は反論するかもしれない。「暴露本を書くつもりはないのだ」、と。だが記された内容といえば、「暴露」や「新事実」の有無という以前に、徹頭徹尾、なんとも頭でっかちで出来の悪い論文を読まされている気分にしかならぬ。申し訳ないが、本当に愚にもつかぬ論文を延々と、である。「青臭い外交論」ならまだマシだが、「論文」のピントもずれている気がして仕方ない。曰く「メディア・アプローチ」、曰く「エージェント・アプローチ」、曰く「政経合体戦略」・・・。例えて言えば、「何とか政経塾」みたいなところでもっともらしく語られていそうな安っぽい駄論、といえば分かり易いか。
 ごく一部をあげつらえば、著者は日本の脆弱な情報収集能力を問題視する中で、後藤田正晴のこんな台詞を引用している。
 「謀略はすべきでない。かつて坂田道太防衛庁長官(74〜76年)が『ウサギは相手をやっつける動物ではないが、自分を守るために長い耳がある』と言ったが、僕は日本という国を運営するうえで必要な各国の総合的な情報を取る『長い耳』が必要だと思う。ただ、これはうっかりすると、両刃の剣になる。いまの政府、政治でコントロールできるかとなると、そこは僕も迷うんだけどね」
 この台詞には確かに後藤田の慧眼を感じる。本書の著者も後藤田を「慧眼の持ち主」とした上でこう続けている。
 「『情報』の本質を、これだけ短い言葉の中でありながらしっかりとつかんでいる(略)。『情報(インテリジェンス)』とは国家に取って政策の前提となる総合的な情報という意味で必要だという指摘である」
 うむむ・・と思いつつ否定はしない。だが、「慧眼」の持ち主である後藤田の率直にも過ぎる本音はむしろ、元キャリア警察官僚であり、日本においてはトップの「情報・工作機関」である警察庁長官まで務めた男が漏らした後半部分にあるのではないか。「うっかりすると両刃の剣になる。いまの政府、政治でコントロールできるかとなると、そこは僕も迷う」、と。
 だが、著者はせっかく引用した後段部分を完全にスルー。意図してなのか、無意識なのかと思いながら最後まで読んだが、「『裏』の世界への入り口となる情報・工作機関が、私たちの国にも必要なのだ」(最終章)というだけなのだ。どうやら著者が「真剣」で「純粋」にそう訴えているらしいのが悲しみすら誘う。良い意味でも悪い意味でも深謀や覚悟があって記しているようには見えないからだ。
 著者は外務省の、さらには日本の外交に強い「憂い」と「警告」を発しているが、皮肉っぽく言えば、こんな人物がキャリアの外務官僚として激動の対北朝鮮外交を担い、「北朝鮮班長」を務めていたということを知り、むしろ「日本外交」への不安感を増幅させた。
 ただ、本書を唯一評価せねばならない点がある。官僚機構や当局組織をさまざまな理由で離れた人間が、在任中の思いを「情報」として発信すること自体は悪い事ではない。最近増えつつあるとはいえ、日本ではこれまで少なすぎたとの感があるからだ。この点においてのみ、本書の価値を認めるが、それだけ、の一冊だ。(筑摩書房、1600円)
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by tikatusin | 2005-07-09 23:57 | 書評